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選択的夫婦別姓制度を、国会判断にまかせた、最高裁判決について [人権]

選択的夫婦別姓制度についての今回の最高裁判決について思ったこと。

現行の制度が違憲とまではいわないが、選択的夫婦別姓制度についても合理性はあり、
国会で議論すべきという内容だった。

3人の女性裁判官は全員違憲判断、
2人の弁護士出身の裁判官も違憲判決
残る男性裁判官だけが多数派を構成し、いろいろ述べつつも、
不利益はあっても、まあ許容範囲だろう的な判断をした。

詳細は多数の報道・意見に譲るとして、今回本当に、女性
(性的マイノリティも含む)の地位ということを思い知らされた。

女性や少数者の権利を特に大切にしたいと思って、
弁護士をしている者の発言としては不適当かもしれないが、
男女共同参画という言葉は得意ではない。

女性は、体調に、仕事に、あるいは夫や育児や介護にと、誰もが手一杯だし。
ただでさえ、無あるいは低賃金の重労働を担いがちで、
なのに、社会は無言の圧力で、若く優しく美しくあることを求めてくるし。
看護師さんも、保育士さんも、介護職の人達も、
もしそこが長らく女性職場でなければ、より常識的な待遇を受けうる職種でありえたのだろうし。

そういうあれこれに納得がいかなくなった女性
(あるいはマイノリティと言われる方達も含む趣旨です)が、
よほど意識的に、私が社会を変える!と決断をして、
さまざまな犠牲のもとに政治家をはじめとした、
社会を動かしうる地位につけたとしても、
たくさんの男性から、
「女性だからだろ」とか、「女だてらに」とかいう誹謗中傷に耐えて、
セクハラも受けて、
でもいつもいつも喧嘩をするのも大変だから、上手におあいそもいって、
笑顔でかわして、こっそり泣きながらでも、明るくやっていかないといけないし。

それを乗り越えてまで、女性達に、
「共同参画しろ」、「達成目標は30%だ」とお題目のように唱えられることに、
必要性は感じつつも、負担に感じたり、
「その前に30%の女性が参画できる社会を作ってよ」
と思ってしまったりする感覚が、ずっと抜けずに来た(今も抜けない)。

でも、今回は本当に身にしみて、
日本社会は男性社会で、三権それぞれが男性中心にまわっている、
女性の不利益は不当に軽視されている、ということを痛いほど感じさせられた。

均等法以前の女性たちの怒りと苦しみは、
こういう感じだったのかなあとも思った(もっとだったかとは思うけれど)。

たとえば、今回の最高裁で、女性裁判官が、もし過半数を占めていたら。

法律婚をして姓の変更を余儀なくされた、
法律婚をして戸籍上の姓は代わり職業うえは通称使用を続けて不便があった、
あるいは姓の変更を拒否して事実婚をして多大な不利益を被っている女性の声を
もう少し、自分自身の問題として想起してくれたのではないか。

そういう人達が過半数を占めていたら、
自身の姓を名乗ったまま法律婚をしたいという人達の、
他人に何かを強制するわけでもなく、現行制度を否定するわけでもなく、
ただ、希望する人にだけ選択の自由を与えてほしいという人達の、
ごくささやかな、けれどもその人生やアイデンティティをかけた声を、
「通称が使えるからいいじゃないか」と言わんばかりに、
こうも簡単に切り捨てたりはしなかったのではないか。

結局は、96%が夫の姓を選ぶ社会のなかで、
選択的夫婦別姓を望む声は、
10対5という最高裁の男女比に押しつぶされそうになっているのではないだろうか。

多くの女性たちは、家族をもつと同時に、
家事・育児・介護といった、無償かつ重労働のケアワークを背負い、
男性なみの働き方はなかなかできないことが多い。
家族をもたない場合にも、そもそもの体力や年齢的な体調の変化も複雑だったりする。

その結果、現代社会で評価されやすい、
仕事ができる、権力がある、経済力があるという立場に、
これまでに、なかなか立ち得なかったのではないか。

国や地方の政治で、企業活動で、社会のあまたの部分で、
家庭責任が少なく、その活動に熱心に取り組めたものだけが評価され、
その人達が、自分たちに都合のいい「世の中のルール」を築いて、
それをまた、女性も含めた社会全体に強いていくのが、今の社会だ。

ルール作りに参加するだけの余裕がない女性は、
ますます社会から阻害され、不利益を被らされ、
それを不当に軽視され、我慢を強いられる。

それは、とても超えられないハードルを設定されて、
「超えられた人だけが社会のルールを作る権利がありますよ」、
「ハードルを超えられない人は、ルール作りに参加できなくても仕方がありませんよ」、
「そのために、少々不利益を被ったて、
 自分たちがルール作りに参加しないんだから自己責任ですよ」、
と言われているのに等しいのではないか。

多くの女性が、男性並みの平等ではなく、
本来の女性の生活やペースや働き方を前提に、
それでも安心して、政治活動・経済活動・社会活動に参加できる世の中が必要だと、
心から思った。

女性たちは、表面上は男女平等だ、女性は強くなったと言われながら、
けれどもこういう、憲法・民法といった、国の根幹をなす部分では
未だに二級市民として扱われながら、
それでも粘り強く、地域社会を支え、大切に子どもたちを育てて社会におくりだし、
年老いた親を介護し、社会の一番の基礎をつくりあげてきた。

どんなに偉い権力者でも、政財界の要人でも、
女性のケアを全く受けずにその地位についた人は、ほとんどいないだろうと思う。

今回の最高裁裁判官達も含め、多くの裁判官もまた、
母親や妻に支えられ、その職業人生を全うしてきている人が
多数ではないだろうか。

そうでありいながら、
多数の女性や家庭が被ってきた大きな不利益や、
アイデンティティの揺らぎや、苦痛や、
そうしたことに対して、あまりに無自覚な判決ではないかと憤りを感じた。

女性裁判官達の意見は、その点で極めて明瞭だ。

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実に96%を超える夫婦が夫の氏を称する婚姻をしているところからすると、
近時大きくなものとなってきた上記の個人識別機能に対する支障、
自己喪失感などの負担は、ほぼ妻について生じているといえる。

96%もの多数が夫の氏を称することは、
女性の社会的経済的な立場の弱さ、
家庭生活における立場の弱さ、
種々の事実上の圧力など様々な要因のもたらすところであるといえるのであって、
夫の氏を称することが妻の意思に基づくものであるとしても、
その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのである。

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女性も参加しやすい社会を。
女性も積極的に社会への参加を。

女性どうしで、結婚するしない、子どもを持つ持たない、仕事をするしないと分断して、
お互いに非難しあったり、争いあったりするのではなくて、
互いの選択を尊重できて、互いを大切にしあえる社会を、心から希望するし、

上に立つ人を増やしたり、その人を支えることからも、
あるいは一人一人の草の根の語り合いや生活のなかからも、
どちらの方向からも、みんなでつくっていきたいと、今日、強く心に思った。
(もちろん、性的マイノリティと言われ、いわゆる男性名誉市民的な立場にたてない人達も、
 あるいは男性だけれども、性別等に関係なく、人が個人として平等だという価値観を
 共有してくださる方みなを含んで)。

郷田真樹

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